第五回なぜTV吹替版は、人々を魅了するのか?
1980年代にレンタルビデオ時代が幕を開ける以前は、劇場封切後に映画と再会できるのは、二番館を除けばTVの洋画劇場だけでした。目当ての映画が洋画劇場で放送されると、当時の視聴者は、ワクワクしながらTVの前に鎮座し、始まるのを待ち構えていたものです。
007シリーズのようなヒット作は、局の改編期である4月や10月の目玉作品であり、凄い数字を叩きだしていました(1974年の日曜洋画劇場での「007/ゴールドフィンガー」初放送の視聴率は、なんと26.7%! ロンドン・オリンピックの開会式よりも断然上!!)。放送の翌日は、職場や学校で、昨夜の洋画劇場の話題が飛び交う。洋画劇場の全盛期とは、そんな時代でした。
現在、「懐かしい時代の感動をもう一度味わいたい」というTVの洋画劇場で育った世代(以下、TV洋画世代)の声に応え、DVDやブルーレイに、洋画劇場で放送された吹替が収録されるケースが増えています。言い換えれば、「TV放送吹替版」は、ソフトの重要な"セールス・ポイント"になったということです。
では、なぜ「TV放送吹替版」がTV洋画世代にアピールするのでしょうか。「ノスタルジーをもう一度」というのは、もちろんひとつの理由でしょう。しかしそれだけでは、レンタル店で借りて1回観れば満足できるはず。フィックス声優(ある海外の俳優の声を常に担当する声優)が出演していることも重要視されますが、フィックス声優さえ守っていれば、新規の吹替版でも問題ないはずです。となれば、TV放送吹替版を手元に保有したいと思わせるだけの、何か特別な理由があるのではないでしょうか? その点を掘り下げてみたとき、TV放送吹替版の制作にまつわる、特殊な事情が浮かび上がってきます。
●視聴率が生んだ、TV放送吹替ならではの創意工夫
TV放送の命は視聴率です。これは昔も今も変わりません。そして、番組の放送時間が長ければ長いほど、視聴率を安定させるのは大変です。視聴者をつなぎとめ、途中でチャンネルを変えさせないことが大命題。TVの洋画劇場も例外ではありません。「なんとかして視聴者を、2時間の番組に集中させる」ことが求められました。
そのために当時のTV局の洋画劇場のプロデューサーが重要視したことは、"質の高い吹き替え"でした。「質の高い吹替を制作すれば、その良さは必ず視聴者に伝わり、視聴率に反映される」- そして、実際にそうでした。そんな至極まっとうなポリシーが通用した良き時代でした。
求められた「質の高い吹替」とは、視聴者にストレスを与えず、かつ飽きさせず、最大限に映画を楽しんでもらえるものでした。それを目指して、翻訳、演出、声優の演技が練り上げられてきたのです。せりふを聞いただけで内容がすんなり理解できるような意訳、日本人の感性に合わせた感情表現の演出、早口でもしっかりと聞き取れる、声優の優れた活舌と演技。BGMの無いアクション・シーンなどに、本編の別の場面から拾った音楽を付けて盛り上げたり、番組枠の都合でカットされたシーンの内容を、別の場面のセリフで補ったりもしました。視聴者により楽しんでもらうために、TV放送吹替にはありとあらゆる創意工夫が施され、進化していったのです。
●TV放送吹替の粋を極めた007シリーズ
もちろん、007シリーズのTV放送吹替にも、これでもかと工夫がなされました。007シリーズは番組改編期の目玉になることも多く、局からは高視聴率を期待されていました。当然、できるだけ「質の高い吹替」を目指すことになります。TVの洋画劇場が培ってきた吹替制作のテクニックのすべてが、007シリーズのTV放送吹替に結実していると言っても過言ではないでしょう。
ここでは『007/ドクター・ノオ』で、ボンドがMの執務室を訪れるシーンのTV放送吹替のせりふを取り上げ、その技術の粋を見てみましょう。まずは、以下で該当のせりふをお聞きください。(権利元からの制限により、TV吹替音声のみになります)
(ボンド愛用のベレッタ銃をMが取り上げて)
M「まだこのポンコツ・ベレッタを使っとるのか… 時代は進んどるんだぞ、007。(Qに向かって)この石頭に注意してやれ」
まず原語では、"damned Beretta(「いまいましいベレッタ」くらいの意味)が、"ポンコツ・ベレッタ"に大変身(笑)。この"ポンコツ"の一言で、ベレッタがどれくらい役に立たない銃であるかが、視聴者に一瞬で伝わります。この後、ボンドがベレッタの不発で入院生活を送るはめになったことが説明されますが、"ポンコツ"という前情報のおかげで、視聴者は余計な考えにとらわれることなく、前の任務でボンドがいかに大変な目にあったかを、すんなり受け入れられるというわけです。
"時代は進んどるんだぞ"は、原語では"I'v told you about this before"。「前にも言っただろう」といったせりふですが、吹替では原語のニュアンスを生かしつつ、旧式の銃に固執するボンドを皮肉ったせりふにチェンジ。その次の"この石頭"は原語で言ってすらないのですが(笑)、直前のMのせりふを補強して、ベレッタにこだわるボンドを揶揄しつつ、Mとボンドのユニークな上下関係を伝えることにも一役買っています。
(ベレッタへの非難に反論するボンドに対し)
M「前回の任務では、弾が出なかったために半年も入院生活を送るはめになったんだ。00(ダブル・オー)ってのは殺される番号じゃなくて、殺しの番号だぞ」
ここは原語に比較的忠実に訳されていますが、それでも一工夫されています。原語では、「00(ダブル・オー)は殺しの番号で、殺されるための番号ではない」と、「殺しの番号」を先に言っていますが、吹替では「殺しの番号だぞ」を最後に持ってくることによって、「007=殺しの番号」という点が、より印象に残ります。
さらに、固有名詞などにもTV放送吹替版ならではの気配りがあります。劇中、ドクター・ノオの基地である"Crab Key(蟹島)"が登場しますが、TV放送吹替では「クラブ・キー」とそのまま言わず、"蟹ヶ島"と訳しています。レンタル商品や販売用ソフトのために制作された吹替版なら、固有名詞をそのまま読み換えて「クラブ・キー」としても問題ありません。よく聞き取れなかったり、意味が分からないところがあれば、巻き戻して再確認ができますからね。
しかし、TV放送はそうはゆきません。一度流れてしまえば、巻き戻しはできません(もちろん当時は、家庭用ビデオ機は普及していませんでした)。耳で「クラブ」と聞いたとき、一瞬何を意味するか分からない。視聴者は、風俗店のクラブを思い浮かべてしまうかもしれないですよね。視聴者に誤解させずに、原語の意味を伝えるため、"蟹ヶ島"としたわけです。しかも単に"蟹島"とはせず、間に「の」を意味する"ヶ"を入れることで、「ん?鬼ヶ島みたいだな」と視聴者を面白がらせ、番組に対する興味を持続させるという効果もあります。
ここで紹介したのは、『ドクター・ノオ』のなかでもごく一部の例に過ぎません。007シリーズのTV放送吹替版は、このような創意工夫の宝庫となっています。
●TV放送吹替版の肝は、"研ぎ澄まされた会話"
ベータやVHSなどの家庭用録画機が普及するまでは、洋画のTV放送は一期一会でした。視聴者が内容を理解できなかったり、会話に魅力を感じなければ、すぐにチャンネルを変えられてしまいます。兎にも角にも、TV放送吹替版は、視聴者にストレスなく内容を理解してもらい、かつ興味を惹き付ける、"研ぎ澄まされた会話"をお茶の間に送り続けなければならなかったわけです。
そこにある言葉や声優の演技は、映画の鑑賞を助け、意味を補完しつつ、視聴者の関心をTV画面に釘付けにする、厳選に厳選を重ねられたものばかり。それゆえ、TV放送吹替版は、何度観ても飽きることがなく、観るたびに新しい発見を与えてくれます。いまなお、TV放送吹替版がTV洋画世代の支持をがっちりと得ている理由は、このあたりにあるのではないでしょうか。
「007 TV放送吹替初収録DVDシリーズ」は、拡大枠での初回放送版も含め、最長版のTV放送吹替が収録されます。ぜひ皆さんも、007シリーズのTV放送吹替版が持つ、「翻訳」「演出」「声優の演技」の究極のアンサンブル="研ぎ澄まされた会話"を、本商品でご堪能ください。