第四回TV放送吹替版のダルトン=ボンドの声く
〜小川真司 スペシャル・インタビュー〜
聞き手:とり・みき
──お芝居にご興味を持ちはじめたのは、いつ頃でしょうか。
小学校の頃は顔が少年っぽくて可愛かったので、あるカメラマンにスカウトされまして、小学校の1年から3年くらいまで、その方に言われるがまま少年雑誌の表紙の仕事をした覚えがあります(笑)。『太陽少年』とかいう雑誌でした。学芸会で抜擢されまして、劇をやったりしたこともあります。僕は小学校1年からクラシック・バレエをやっていました。姉が習っているのを見に行ったのがきっかけです。姉はすぐに辞めたんですが、僕は続いちゃって。小学校6年くらいまで習っていました。当時は、バレエをやっている男性は珍しかったので、その業界では期待されたんですが、背がそんなに伸びなかったこともあって中学で辞めました。
それから、作曲家になりたいという夢もありまして(笑)。僕の小さい頃はリチャード・ロジャース(※『サウンド・オブ・ミュージック』などで有名なミュージカルの作曲家)が全盛の頃で、20世紀フォックスに拙い英語で手紙を書いて、楽譜を送ってもらえないかと頼んだら、山ほどリチャード・ロジャースの楽譜を送って頂いたり。勉強はしたんですが、ピアノもバイオリンもいまひとつで、「あ~才能ないなぁ」と思って諦めて。それでまあ、普通の職業に就くつもりでいたんですけど、高校を卒業するときに、河内桃子さんという女優さんを姉に持つ友達から、「うちの姉が俳優座養成所の卒業公演に出るから観に来ない?」と招待されたんです。それで俳優座劇場に夜のお芝居を観に行きまして、河内桃子さんだとか、山崎努さん、柳川慶子さんの卒業公演と、その後の卒業式が、華やかですごく楽しそうだったんです。「大学よりも、こういった劇団を受ける手もあるな」と思いました。父には猛反対されたんですが、「援助はいらない」と伝えて、俳優座を受けたところ、受かったんです。
その頃は、ちょうどテレビが始まった頃でしたが、テレビ放送は、生ドラマか(カットが)切れないビデオの時代だったので、映画畑の俳優の方は敬遠なさってあまりテレビに出ていなかったんです。劇団関係の人は、長い台詞を憶えられるというので、よくテレビに出ていましたね。僕たちも養成所に入った途端、テレビ局の方たちが新人を探そうと授業中にも来ていました。まだ養成所に入って1年もしないうち、芝居の「し」の字も知らない頃に、僕もテレビ局の方に抜擢されました。石坂洋次郎さん原作の『寒い朝』という青春ドラマで、十朱幸代さんの相手役をやらせて頂いたのが最初でしたね。新人にとってはいい時代でした。卒業する頃にはレギュラー番組が何本かありましたし。卒業後は文学座志望でしたが、その年は文学座が劇団員をとらない年だったので、亡くなられた小沢昭一さんが結成された劇団俳優小劇場に入りました。僕はスターというわけではありませんでしたが、仕事はいっぱいあるほうでしたね。
──映画の人達は五社協定(テレビの進出などにより、映画会社は協定を結び、専属俳優は他社への出演を基本的に出来ないようにした)などもありましたしね。当時は生放送なので、ご自分が演じた作品を観られないわけですよね?
そうですね。ビデオ撮影の作品もありましたが、誰かがNGを出すと最初からやり直しです(笑)。俳優さんが台詞を忘れるというNGもありましたが、カメラの人がパンを間違ったり、音声さんがマイク出したりとか、いろんなNGがありました。本番の日は、いつ終わるのか分からない感じで大変でしたよ。吹替版の制作もフィルムでした。僕は生アフレコはやったことはありませんが、TBSが放送した『華麗なる世界』という海外ドラマで、主役の若きプロデューサー(演:ピーター・ハスケル)の声を1年間演じさせて頂きました。ハリウッドの映画界の内幕を描いた作品で、すごく面白かったですね。
──演出家の小林守夫さんとお会いになったのは、いつ頃ですか?
レギュラーの吹替に慣れた頃に、何かの作品で小林守夫さんに使って頂いたのがきっかけで、その後も僕を使い続けてくださいました。それが足場になりましたね。その後いろいろなディレクターさんにも使っていただけるようになりました。(小林)守夫さんは、恩人だと思っています。
──舞台や映画やテレビのお仕事に比べて、吹替はかなり特殊だと思うのですが、ご自分には合っていたと思われましたか?
僕が俳優をやっていた頃は、フィルムで撮るテレビ映画というのがありました。制作時間を短縮するために、同時録音ではなく、アフレコが多かったんです。フジテレビの昼のメロドラマを半年間やったこともありましたが、そのときも、すべてアフレコでした。15分の番組でしたが、15本まとめて、3日間でアフレコするという過酷なスケジュールでした。ですので、自分自身の顔に台詞をアテることには、もともと慣れていたんです。吹替については、最初は違和感があったんですが、「画面の俳優の顔は違っても、自分が(声の)配役をされたのだから、(画面の俳優は)自分自身だと思って演じよう」と思ってやり始めたら、違和感は無くなりましたね。合わないところはディレクターさんが直してくれますし。
──小川さんが「007」のティモシー・ダルトンを担当されたのは、ちょっと異色という印象を受けたのですが。
そうですね。最初の頃は二枚目役の声が多かったんですが、僕はどちらかというと照れ屋ですし、カッコいい役が来ると戸惑っちゃうほうなんです。ですから、「007」のティモシー・ダルトンの役が来たときは、正直戸惑いました。ただ最初のショーン・コネリーの頃とは違うボンド象ですし、「僕にくださった役だから、僕らしく演じるしかない」と。見た目のカッコ良さは彼に任せておいて、あとはあまり気取らないで演じようと思いました。
──ティモシー・ダルトンが悪役を務めた『ロケッティア』でも、声を当ててらっしゃいましたが、すごく楽しんで演じていらっしゃる感じが伝わってきました。
悪役の吹替は楽しいです。役柄にもよりますけど、どちらかといえば異常な役を割り当てられて演じることが多いのが、また楽しいですね。
──演出家の伊達康将さんにお話を伺ったところ、伊達さんが「(ダルトンの声は)小川さんがいい」ということで起用したと。
ありがたいですね。伊達さんとは本当に沢山の仕事をさせて頂いきました。彼も僕の恩人のひとりです。「よく配役してくださった、楽しかった」という作品が、彼との仕事で何本もありますね。
──ティモシー・ダルトンの007作品では、アクション・シーンが増えましたよね。
あの時代のアクション・シーンは大変だったでしょうね。CGもありませんから。『リビング・デイライツ』はTBSの「水曜ロードショー」の最終回での放送でしたが、今でも憶えているのは、格闘シーンが多かったことですね。収録では格闘シーンの全ては原音を生かすということで、台詞のシーンだけを録ることになりました。収録がおそろしく速く進んで、朝10時から始まって、午後3時頃には終わりました。で、みんなで飲みに行こうとかという流れになったんですが、そんな時間に居酒屋なんか、どこも開いてないですしね(笑)。
──お仕事を離れて「007」シリーズについての印象は?
ショーン・コネリーの初期の作品、1960年代に映画館で上映していた頃から、面白くてドキドキしながら観ていましたね。コネリーもカッコ良かったです。今でも憶えているのが、「おはよう!」って事務所に入ってきて帽子を投げると、ヒューっと回って帽子掛けに上手く掛かって。「どうやって撮ったんだろう?」って思ったのを、よく憶えています(笑)。上手く行くまで何度もやり直したのかな(笑)。
──声を担当されている俳優さんの中で、難しい方はいらっしゃいますか?
タイミングの分かりやすい人と、分かりにくい人がいます。長く声を担当していると馴染んできますが。マイケル・ダグラスさんは、ほとんど息を吸わないで喋るとか、ここで息継ぎをするな、とか「ここをポイントにしたかったんだ」というのが掴みやすい方です。才能のある方なので、一瞬で感情を変えることができる。しかも愛嬌があるので、声を演じていて楽しいですし、感心しちゃいますね。彼には、一瞬の声の擦れとか、一瞬のタイミングの良さというものがあるので、常にそこは大切に演じようと意識しています。
──僕らはもうマイケル・ダグラスの声は小川さんで聞こえてきます。本人の声のほうがもっと嫌なヤツですよね(笑)。ロバート・デ・ニーロやダスティン・ホフマンはどうですか?
デ・ニーロやホフマンのほうが、(喋りに)不思議なタイミングというのがあって苦労します。「え?」っていうようなタイミングで来るので(笑)。 僕らは呼吸に合わせるんですよ。向こうの俳優さんが吸う瞬間に僕たちも吸って。ひと息で喋るところでは、同じようにひと息で合わせますから。彼らは意外なタイミングというのがあるので、「ここは注意しておかないと遅れるぞ」といった場合がありますね。
──声のお仕事に関して、今後やってみたい役とかありますでしょうか。
ある年齢になりましてからは、お話をくださるだけで「ありがたい」と思っています(笑)。予算的には厳しい時代になりましたから、その中で「よく僕に話をくださったなあ」と感動するんです。どういう役をやりたいとかは、あまりないですね。くださった役柄を楽しんで演じています。ただ僕自身も年齢を重ねてきたので、老け役をもらうと嬉しいですね。NHKのドラマ『ダーマ&グレッグ』の、グレッグの父親役(演:ミッチェル・ライアン)が初めての老け役だったんですよ。白髪の老人の吹替を演じさせてもらったのが、非常に嬉しかったですね。
望みとしては、少し時代が良くなって、ひとつひとつの吹替の制作予算が少しでも増えて、じっくりと時間をかけて質の高い吹替版が多く出来ればと思いますね。僕なんかも配役していただいて(笑)。そういった質の高い吹替版が良い評判を取って、吹替版の需要がさらに増えていくことを願っています。
(2013年1月24日 於:東北新社にて 協力:東北新社・池田憲章)
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