第二回007シリーズ"TV放送吹替ディレクターに聞く
     〜 加藤敏 & 佐藤敏夫 〜
 

聞き手:とり・みき

007がお茶の間のブラウン管に初登場したのが1974年。それから38年を経て、日高晤郎版『ゴールドフィンガー』『ロシアより愛をこめて』の吹替演出を担当した加藤敏氏と、若山弦蔵版ボンドの全作品を演出した佐藤敏夫氏に、007シリーズのTV吹替制作を聞く!

──どちらが先輩にあたられるのか教えて頂けますか?

加藤敏(以下K):私(加藤氏)です。1年上です。

──今日は東北新社という会社の成り立ちとあわせてお話頂ければと思います。ご入社の経緯ですとか、このお仕事を選ばれた理由などからお伺いできますか。

K:植村(伴次郎)さんが創立された東北新社に、内池望博氏(東北新社のディレクター。『奥さまは魔女』『スパイ大作戦』等を演出)などが加わって、7人体制でした。当時は忙しくて、おそらく猫の手も借りたい状態だったと思います(笑)

──当時はまだ植村さんも演出をされていたのですか?

K:ええ、やっていました。で、そんな時に同級生である内池氏から電話が掛かってきて、吹替の演出という仕事だけどやってみないか、という話がありまして。どんな仕事かまったく僕には分からなかったので、とりあえず昔の日本テレビの近くにあった番町スタジオに伺いました。日中にアフレコをやって、夜にダビングの作業なんですよ。手作業で一生懸命に皆がやる姿を見て、それに感動しまして。それからずっと居着いちゃったみたいな感じなんです。入社試験があってどうのこうのという形では、まったくないですね。面接も特にありませんでした(笑)。植村さんともスタジオで会って"これからお世話になります、宜しくお願いします"みたいな感じでした。

佐藤敏夫(以下S):僕は、正直言うと代理店などを探っていたんです(笑)。全部フラれまして"どうしようかなぁ…"と考えていて、父親にも故郷の兵庫県に"帰ってこい!"と言われていました。そんな時に"ちょっと来ないか"と言われまして……加藤さんのちょうど半年くらい後ですよね。"ヨロシク"みたいなことで。僕の時は、興味のある5人が集まって"まずは現場を見ろ"と言われまして。夜のダビングのすぐあと翌日のアフレコが待っているような状態で、僕はそれから1週間は家に帰らなかったですね(笑)。3日目には、5人が3人になり、1週間目に"どう思う?"と訊かれたので"そうですね、宜しくお願いします"みたい感じで入社となりました。1週間目でしたね(笑)。

K:僕が入って半年くらい経った頃ですね。仕事の量がすごく増えていって、ディレクターが足らなくなったんですよ。

──助手の期間は短くて、"即ディレクターをやれ"だったんですか?

K:何ヶ月か後に、演出を任されたって感じでしたね。先輩たちが担当していた30分ものの『名犬リンチンチン』だとか『ハイウェイ・パトロール』だとか『ハーバーコマンド』などを。先輩たちには新しい作品がどんどん割り当てられていました。半年くらい経った頃だったと思うのですが、"もっと人がほしい"ということで、彼(佐藤氏)と1年後輩の二瓶(紀六)氏に声を掛けました。二瓶氏とは大学時代、放送研究会で一緒にやっていたので、彼のことは良く分かっていましたから。

 

──前例の無いお仕事だったわけですが、何を参考に吹替の演出をされていたんですか? お手本となる基準というのは?

K:基準は……特にはなかったかな。オンエアされた物を見たり、先輩たちが現場でやっている状況を見て覚えていったりとか。

S:芝居を付けると言っても、画面は動いていますからね。画面に答えがあるということですね。

──やはり声を演じられるのは新劇系の方が多かったんですか?

K:そうですね。まだ当時は声の専門学校みたいなのがなかったですから。

S:アテレコといっても結局はお芝居ですよ。最初、僕らはキャスティングをするといっても、役者さんを知らないので、劇団四季、東芸、七曜会、俳協などのマネージャーが来て、我々のためにキャスティングをしてくれたんです。我々には分からないところで"こういう人を使ってみたらどうか"とか。自分で主導権を握ってキャスティングができるまでには時間も掛かりましたが。

──その頃は効果音も日本側で、自分たちで作っていたんですか?

K:そうですね。ME(MusicとEffect 要は音楽と効果音のみが録音されているテープ)というのがなかったですからね。効果さんがスタジオに入り、映像を見ながら音をつけて行きました。

S:アメリカには当時から全部あったんですが、高いので買わなかったんです。フィルムも高いですし、MEテープはフィルムと同じくらいの値段でした。録音するためのシネテープ自体も高価なもので、作業も色んな制約がありました。よく笑い話で言われますが、頭から30分間録音しても最後にNG出したら、また頭からやり直し、みたいな(笑)。

──翻訳者、007の場合は木原たけしさんですが、そういう発注をするのはどなたになるわけですか?

K:どのディレクターで、誰の翻訳で行くかは、局や制作会社のプロデューサーが決めます。配給業者のフィルムの売り方にもよると思うのですが、その作品をどこの制作会社が手掛けるかというのは配給会社が決める場合と、局側が決める場合とがあったのではないでしょうか。

──007の場合は最初にオンエアが決まったときに、まずNET(現:テレビ朝日)で『ゴールドフィンガー』が放送となり、その後TBSでとなりますが、放送局は違っても制作会社は東北新社でした。どちらもショーン・コネリーの吹替は日高晤郎さんで統一されていたわけですが、局の間で話し合いなどがされたのでしょうか?

S:当時は、局どうしはライバル意識を持っていました。他局が作ったものは、ウチは放送しない、くらいのノリでしたね。劇場用映画が常時掛かり始めたのはNETの『土曜洋画劇場』が最初ですが、NETとしては"この役はこの人に吹替してほしい"ということからの人選でしたね。

──どういう人選だったんでしょう? 顔の骨格が似ていれば、声も似ていると、よく言われますが。

S:それもありますが、やっぱり表現力の問題ですよね。"この役者を表現してくれる役者は誰だろう?"みたいな選び方をしたと思います。

──元の役者さんと似た「声」にしなければというこだわりは、いまほどなかった時代だったんでしょうか。声質は元の俳優とは違っているけれど、かけ合いのアンサンブルや、見た目のイメージのほうが重視されているような声のキャスティングも見られますが。

S:『土曜洋画劇場』が始まるまでは、映画によって色んな人が起用されていましたね。同じ役者が出ているのに局によって声優が違っているというのは、あまりも有名すぎる人だと困るというのはありましたけれど。ただ昭和30年代は、そんなに早く映画がブラウン管には出てこなかった。けっこう古い映画が流れていましたから。

──スターで観る映画が多かったこともあり、フィックスは決めておこう、という感じですか?

S:そうですね。アメリカもスター・システムの映画がけっこう多かったですから。『土曜洋画劇場』が『日曜洋画劇場』になったとき、『日曜洋画』としては、役者が同じなのに声がバラバラはちょっと困るので統一しよう、という話になりました。他局では、まだポツンポツンとしか(洋画のテレビ放映は)なかったですから、そんなに目立って違和感が出るというところまでは行かなかったと思います。007が初めて放映されたのは、昭和48~49年くらいだったかと。当時は、劇場公開から5年経たないと、ブラウン管には出なかったですから。

──オンエアは『ゴールドフィンガー』が74年(昭和49年)ですね。『ロシアより愛をこめて』が75年(昭和50年)です。

S:ショーン・コネリーの007映画の放送が初だったと思うんですよね。だからNETも"誰にするか?"みたいなことだったんだと思います。

──オーディションのようなものは、あったんですか?

K:ないですね。ユナイト映画のテレビの代表が、007作品にはかなり力を入れていました。『ゴールドフィンガー』がNETで、『ロシアより愛をこめて』がTBSに販売されました。吹替が制作されたのは『ゴールドフィンガー』のほうが先でした。どういう分け方をし、どういうセールスをしたのか、私には分かりません。

──局同士のライバル意識もあった中で、どちらも日高さんになったのには、わりと制作会社主導だったのかなとも思ったんですが。

K:ユナイトのテレビの代表が、テレビ初放送ということでこの作品に熱を入れられていたので、プロデューサー的な立場で制作にも噛んで行ったのだと思います。当時誰しも思うのは、ショーン・コネリーと言えば、やはり(若山)弦蔵さんでしょうね。『ゴールドフィンガー』の売り込みのスタンスとしてテレビの代表がショーン・コネリーは日高晤郎で、という条件付きだったと思うんです。しかし局の思惑もありますから、キャスティングの打ち合わせには、長時間掛かっていました。結果として日高晤郎さんに落ち着いたわけですが、ユナイトの力が勝っていたということでしょうね(笑)。

──最初の『ゴールドフィンガー』には、日高さんの他にも能の観世栄夫さんや沢たまきさんなど、非常に異色のキャスティングだったわけですが。

K:普通だったらベテラン連中でまわりを固めちゃう発想のところを、それだと(日高晤郎さんが)浮いちゃうと思ったので、吹替が初めての人たちで、面白いキャラで固めちゃおうと。それで観世さんや沢さんを起用したわけです。

──その後は、007の放送はほとんどTBSになっていくわけですが、TBSの熊谷国雄プロデューサー(「月曜ロードショー」等を担当。故人)というのはどんな方でしたか? わりと押しの強い人だったんですか?

S:僕は『刑事スタスキー&ハッチ』など、熊谷さんとはたくさん仕事をさせてもらったんですけれど、話の分かる人だと思いますね。

K:話の分かる人ではありますよね。

──キャスティングには注文を出す人だったんですか?

S:メインに関しては、こんなふうな人がいいな、くらいは言われましたが、"この役者で行け"というようなことは無かったですね。

K:そこまでうるさい人ではなかったです。

S:2人ほどこちらで候補を挙げていくと、大体「分かった」といってくれて、やりづらいプロデューサーではなかったですね。『卒業』という映画でダスティン・ホフマンの役に高岡健二を使ったんです。彼とは初めての仕事でしたがけっこう熱心で、"吹替という作業は気に入ってる?"と聞いたら"とっても面白かった"って言うんですね。打診した上で、熊谷さんに"『スタハチ』に高岡氏はどうだろうか?"と話をしたら"面白いじゃないか"ということになりました。高岡健二を使うなら相手は……という感じでキャスティングましたね。

──メインを決めて、脇を固めていったわけですね。

K:僕の担当した番組でも大体そうですね。

──007シリーズの演出にあたって、日本語の台詞で一番気を付けていたところは?

S:翻訳は木原たけしさんが、ほとんどを手掛けていまして、彼はかなり洗練された台詞を書いていましたね。若山さんも"ちょっとココ、こうしたいけど、いいかな?"みたいなところがあると、木原さんと"じゃあ、こうしよう"とかね。1本目をやったときに"007はどんなふうに持っていこう"という話をして、木原さんもアフレコ現場に張り付いていましたからね。あの作品のボンドは若山弦蔵さんのものですから。何に気を遣うかというと、他のキャラクターをどう活かすか、誰がいいか、くらいでしたね。一番最初にどうしよう、こうしようというのは喧々諤々やっておいたので、2本目からは"007シリーズだからどうしよう?"という話はなかったです。

──木原さんの翻訳の良いところはどういうところでしょう?

K:喋り言葉になっている点です。こなれた言葉、キャラクターが喋っている言葉になっていることでしょうね。本人がもともと役者だったせいもあるんでしょう。ちゃんと喋り言葉で台詞を作ってくれる。そこが素晴らしいと思いますね。

S:僕もそう思います。昭和30年代前半というのは、僕らも聞いた話ですけれど、大学の教授が翻訳をしていたそうです。木原さんは翻訳始めた頃、『サンセット77』のクーキー役の声("河内博"名義)をやりながら翻訳もやっていたそうですから。どれだけ翻訳に喋りやすい台詞が必要か、というのを彼自身が身をもって……相当身に染みたんだと思います。

──DVDや劇場版の吹替えのほうがTVよりも現在はメインですが、海外のディレクターから"大きく喋って単語は大きくしてくれ"などといった細かい指示も出るようです。そういった現在の吹替えの在り方についてはどうですか?

S:僕は昔から言っていますが、映画館で見せる字幕、これはオリジナルを中心にしているわけですよね。最初の頃は清水俊二さんの翻訳もけっこう遊んでいたみたいですけれど、何を喋っているかに対しては飛び抜けた形での意訳はできないと思うんです。吹替えの演出をしていて思うのは、吹替えの翻訳は字幕とは全然違うもの、ということです……と解釈したいというか、色んな意味でそうやってきたつもりです。とにかく文化の違いや宗教の違いもあったりして、翻訳が難しいことはあります。"もうそこはすっ飛ばそう"なんてこともあったり(笑)。日本人に分かりやすく、日本人のために見せる吹替版なんだから、ある程度は英語を犠牲にして日本語に重点を置こうよ、というふうなことを、僕は木原さんとよく話しながら……だから「吹替の翻訳は翻案するんだよ」くらいの勢いで日本語にしてゆく彼の翻訳は、とっても好きです。

K:最近よく字幕との整合性を言われるんですが。まあ翻案というか、オリジナルで言っている意味をきちんと汲み取り、そこから外れなければどういう表現にしてもそれでいいだろう、と僕は思っているんですけどね。直訳をそのまま持ってこられても、わけが分からないときってあるんですよね。言わんとしているところのニュアンスをしっかり捉えて日本語に置き換えてくれれば、それでいいんですよ。 S:大体文法が違いますから。英語では先に激しい表情で動詞が来ますよね。それを日本語にしていくときに、表情ばかりを気にすると、逆文を多用することになる。

K:本当にその表情に合うような、強く言えるような、そういう日本語で出来れば一番良い訳ですが(笑)。

(2012年9月24日 於:フィールドワークスにて 協力:池田憲章・小野寺徹)

※ここまででも結構長いインタビュー記事ですが、実際は、はるかに上回る超ロング・インタビューでした。業界の裏話が満載、知ればさらに007のTV吹替を楽しめる内容です。そちらについては、「007 TV放送吹替初収録特別版 DVD-BOX 第一期」同梱のブックレットに完全収録しております。お楽しみに!

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