第五回『トゥモロー・ネバー・ダイ』復元と放送素材の現状
 

 「007 TV放送吹替初収録特別版」第四期に収録される『トゥモロー・ネバー・ダイ』は、初回CX「ゴールデン洋画劇場」放送版(ブロスナン=江原正士)と、その後放送されたテレビ朝日「日曜洋画劇場」放送版(ブロスナン=田中秀幸)の両方が収録されています。ところが、どちらも存在していた放送素材は、最長版ではありませんでした。もちろん、本商品の音声は最長版を復元し収録しています。ただ、収録までの過程は、かなり紆余曲折がありました。

 まずは「ゴールデン洋画劇場版」。これは2時間半枠で放送され、CMをカットした本編の正味時間は114分でした。ストーリーに影響の無いと思われる数シーンのみがカットされていただけですが、権利元には放送用マスターが保管されていませんでした。当然、我々はそんなことでは諦めません。ありとあらゆるルートを駆使して、放送用マスターを見つけ出しました。マスターには内容を参照できる「キューシート」という紙が添付されていて、CMを入れる箇所や、本編の正味時間が分かるようになっています。キューシートによると正味114分で、ほっと胸をなでおろしました。

 その吹替音声はDVD用のマスターにシンクロされ、確認用のDVD-Rがスタジオから届きました。ところが本編を観てみると、「あれ?ここカットされていたかな」というシーンが続出。嫌な予感がしたので、このバージョンの放送履歴を確認したところ、2時間枠用にカットされて深夜に放送されたことが分かりました。つまり、入手した放送用マスターは、正味94分に短縮されたもので、同梱されていたキューシートが間違っていたのです。トホホ…

 再び初回版の放送用マスターを探索しましたが、「短縮版を作った時に初回版は廃棄されたようだ」との情報が。ああ、やっぱり…。ということで、押入れのダンボールからS-VHSの標準モードで録画した初回放送を引っ張り出して、カット部分を無事復元。

 「日曜洋画劇場」版は、違った意味で問題がありました。本シリーズの作業で、最も複雑な吹替の復元となりました。実は、同じブロスナン=田中秀幸でも、2バージョンが存在しているのです。

 2002年に放送されたバージョンは、バイク・チェイスのシーンがまるごとカットされ、2時間枠=正味94分程度のバージョンでした。これをAバージョンとします。

 その後、「日曜洋画」で何度もリピート放送されますが、ある放送でバイク・チェイスのシーンが復活しました。こちらも2時間枠=正味94分程度です。これをBバージョンとします。Bバージョンは新たに吹替を録り直したものではなく、バイクチェイスのシーンのみ追加吹替を行い、そこ以外はAバージョンと同じ吹替版です。

 ということは、Bバージョンは、バイク・チェイスの場面が増えたため、Aバージョンに存在する別のシーンがカットされたことになります。本シリーズが吹替の"最長版"を謳っている以上、AバージョンとBバージョンを合わせた、ハイブリッド版を収録しなければなりません。ところが権利元に残っていたのは、Bバージョンのみということが判明…

 幸い、有志の方からAバージョンの状態の良い録画をお借りすることができました。しかし、ここからが気絶しそうな作業になってしまいました。Aバージョンに存在していて、Bバージョンでカットされたシーンは、数十秒単位で何十箇所にも渡って細切れになっていたのです。

 両方のバージョンを編集ソフトに取り込み、同時に走らせてカット場面を探してはタイムコードを取ってゆくという、気が遠くなるような作業の末、なんとか完成。ランニングタイムは正味100分に膨らみ、過去放送されたことのない、本シリーズだけで鑑賞可能な"ハイブリッド"最長版が誕生しました。

 こうしてみると、TV吹替版の放送用マスターは、最新バージョン以外は廃棄される場合が多いようです。しかし、合理的に考えると無理もないことです。TV権を販売する際、吹替のバージョンが複数あると事故が発生する恐れがあるからです。老舗の洋画劇場で実際にあった放送事故ですが、放送された本編の声優と、まったく違う声優キャストがテロップで出ました。同様の事件は、地方局も含めて洋画放送では、多々起こっていました。このようなミスは、放送用素材が複数あるため生じるわけで、事故を防ぐために「1作品=1放送マスター」になってゆくわけです。そして、一番新しいマスターを残して、古いマスターは廃棄されるというわけです。

 困るのは、TV吹替の放送マスターが存在していても、VHSやDVDのソフト用に制作された吹替版がTV放送された場合です。TV放送吹替版の素材の形式が古い場合(16mm、1インチ、D2など、現在のデジタル放送では使用できない形式)、デジタル放送用にフォーマット化(HDテープ)するのには費用がかかります。ソフト用に制作された吹替版が、既にデジタル放送に適したマスター素材だった場合は、コスト削減のためにも、そちらを放送に使うほうが合理的ということになります。

 ところが、「1作品=1放送マスター」の法則に従うと、吹替のバージョン違いは無視されて、昔のTV放送吹替版は無くなってゆき、ソフト用の吹替版が放送用マスターに置き換わってゆくことになります。

 これは007シリーズでも起こっていることで、「ドクター・ノオ」「ダイヤモンドは永遠に(若山版)」などは、短縮版すらTV放送吹替の放送用マスターが残っていません。幸い本シリーズでは、そういった放送用マスターが失われた作品もすべて復元・収録できました。

 二度とTV放送されないであろう作品も含め、007の珠玉のTV放送吹替を本シリーズでぜひご堪能ください。

 
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